生き辛い人にとって、「知る」ということは何より必要なことかもしれません。
自分の生き辛さが自分の中にあるのか、外にあるのか、知ることで楽になることもあるでしょう。生き辛い人は特に自分の内面を見つめようとします。
そんな生き辛さを抱えたタレント・オードリーの若林正恭さんは、アラフォーになり家庭教師を雇いました。
「格差社会」「ブラック企業」「人間に使われるスペックという言葉」、若林さんの嫌いなこれらの言葉はなぜ使われることが増えたのか?
先生に言われて若林さんは世界史と日本史の教科書を読み込みます。そして気づいたのです。自分の悩みは社会の構造によるものだったと。
そして彼は他の国も見てみることにしたのです。「コミュ障」「意識高い系」「スペック」「マウンティング」「オワコン」、そんな価値観と5日間だけ無関係になる、そんな旅が納められています。
若林正恭著「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」とは
2017年に発行されたタレント・若林正恭の紀行文。2018年に斎藤茂太賞を受賞し、ロングセラーとなっています。
単行本では若林さんのキューバの旅が収録されていますが、2020年に「モンゴル」「アイスランド」「あとがき コロナ後の東京」の書き下ろしを加えて、文庫化されています。
資本主義の中枢東京から、社会主義の国キューバへ
2015年、キューバはアメリカとの国境を回復しました。
2016年、若林さんはキューバに旅立ちました。あと数年で当時のようなキューバは見れなくなってしまうからです。若林さんはキューバの街並みに広告がないことに気づきます。
社会主義だから当たり前といっちゃ当たり前なのだが、広告の看板がない。ここで、初めて自分が広告の看板を見ることがあまり好きではないことに気づいた。東京にいると嫌というほど、広告の看板が目に入る。それを見ていると、要らないものも持っていなければいけないような気がしてくる。必要のないものも、持っていないと不幸だと言われているような気がぼくはしてしまうのだ。
若林正恭「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」
Wi-Fiも限られた場所でしか使えません。スマホが制限なく使える日本に住んでいると、スマホの広告もまたうっとおしかったりするのですが、ネットの広告も目にすることが少なそうです。
現在はアメリカと国交が回復して数年が経つので、かなり街並みは変わってしまったかもしれません。
若林さんが旅した当時は、ネットが限られた場所でしか使えなくて、街に看板がなくて、クラシックカーが走っていて、マックもスタバもない。そんな国だったのです。
もし私がそんな国住んでいたら、物欲がなく生きていけたのでしょうか。物欲に苦しめられることなく生きていけるのであれば、それはそれで気が楽でしょうが、ただ生活のために働くというのもいまいちモチベーションが上がらなそうです。
キューバでは「働く」ということの価値観も日本とは違っていて、職業訓練が徹底しています。スポーツ選手も、ミュージシャンも、ウエイターも、学校を出てその職業に就くのです。
若いうちから才能を見分けられ、ふるいにかけられるのであって、職業を自由に選択するという概念がありません。日本では職業を選ぶのは自由でそれはありがたいのですが、ブラック企業に入ってしまえば、それは自己責任。
「何者かにならなければ」とか、収入で「スペック」が決まってしまったりとか、「たくさん消費してよりよい人生を送りましょう」とか、就く仕事によって幸せが決まってしまうところがあります。
テレビの世界で生きることは、広告の世界で生きるということであって、若林さんは国民に消費をうながす側であるわけです。
そんな世界で生きている若林さんだからこそ、経済活動に敏感で、「資本主義」から少し離れたくなったのかもしれません。
ゲバラやカストロの「命の使い方」
キューバといえば、チェ・ゲバラ。若林さんはキューバ人のガイドさんと革命博物館に行きました。博物館にはカストロやゲバラが率いた革命軍の写真や所持品が無数に展示してあります。
若林さんは事前にキューバ革命に関する映画を何本か見ていたそうですが、彼の心をとらえたのは政治的なイデオロギーではなく、彼らの「目」だったそうです。
ぼくは革命博物館で涙を流さなかったし、今の生き方も考え方も変えるつもりはなかった。だけど、ぼくはきっと命を「延ばしている」人間の目をしていて、彼らは命を「使っている」目をしていた。
若林正恭「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」
キューバ革命に興味のある若林さんは革命広場にも行っています。そこでカストロは10万人もの聴衆に5時間ぶっ通しで演説をしていたといいます。
若林さんは職業柄そのすごさ異常さを、十分に理解できます。その上で革命広場に立って、思いを馳せ、伝説のべしゃりや聴衆を出現させてみました。
きっとカストロの声やリズムには、人を惹きつけ高揚させる、「ライブ」だったのだろうと。それを聴きながら10万人の聴衆はサルサを踊る、そんな白昼夢を見たのです。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのですか?あなたの今の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」というゲバラの名言。
誰かに飼いならされるより、自由と貧しさを選んでいるように見えるカバーニャ要塞の野良犬。
そんなキューバに漂う空気感が若林さんに「命を使いたい」と思わせたのです。
亡くなった父への思いが若林さんをキューバへ連れてきた
若林さんをキューバへ、初めてのひとりでの海外旅行に駆りだしたのにはわけがありました。「ひとりで」というところに、意味があったのです。
若林さんがキューバへ行った2016年、実はその年の4月14日に、若林さんは父親を亡くしていました。キューバは若林さんの父親が生前に行きたがっていた国でした。
だから若林さんはキューバへ旅立つことにしました。誰も自分を知らない環境で思いきり悲しむために。
でも悲しむためにキューバへ来たはずが、何だかずっと父親がそばにいる気がして、若林さんは会話をしていました。
東京では思いきり悲しめないから、東京から逃げた若林さんですが、それはこれからも東京で生活していくためでもありました。結局東京でしか生きていけないのです。
ここで生活し続ける理由。
それは、
白々しさの連続の中で、
競争の関係を超えて、
仕事の関係を超えて、
血を通わせた人たちが、
この街で生活しているからだ。
だから、絶対にここでじゃなきゃダメなんだ。
それにこの街は、親父が生まれて死んだ街だから。
そうか、
キューバに行ったのではなく、
東京に色を与えに行ったのか。
若林正恭「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」
キューバという東京とはかけ離れた場所へ行ったことによって、逆に自分の中の「東京」の存在の大きさに気づいたのでしょう。
どんなに若林さんの嫌いな言葉が蔓延していても、バカにされずに生きていくためにたくさんのものを手に入れなくてはいけなくても、灰色の街だとしても。帰ってみれば、やはりここが自分が生きていく場所だと思うのです。
私たちの生き方や思想は、生まれた国や時代に左右されてしまうようなものだ
若林さんはキューバの他にもモンゴルやアイスランドへ訪れています。
経済システムに自分の生き方がこんなにも影響を受けている(というか自分なんて概念はとても曖昧で、外部からの影響が相当大きい)ことに驚いた。そして、一人の人間の価値観が、その時代やその国のシステムの影響を強く受けるとしたら「他の国はどうなのよ?」と気になった。そこで、まずは新自由主義の対極と言っていいであろう社会主義のキューバにどうしても行きたくなったのだ。
キューバには社会主義を、モンゴルには定住しない家族を、アイスランドには自然を見に行った。
若林正恭「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」
3カ国を見て思ったのは、日本人が本当に集中力が高く、その恩恵をとても受けていること。そして他人をよく見ていて、世間というものをとても信仰していること。
日本では圧倒的な能力があるわけでもないのに、多数派に賛同できない人間にとっては非常に生き辛い。若林さんはそれでずっと自信が持てずにいたそうです。
それでもその欠落のおかげで、血が通った関係や仕事や趣味に出会うことができました。ずっと自分の内面ばかりを見てきて他人を見てこなかった若林さんは、自分の欠落を理解したとき、外の世界を見てみたくなったのです。
そして他の国の価値観や日常に触れ、東京でもキューバでもモンゴルでもアイスランドでも、血が通った関係は最高だと思うことができました。だからもう探していたものが見つかった手応えがあって、彼はもう日本と比較したい国はなくなりました。
確かに私たちの生き方なんてものは、生まれた国によって左右されてしまうような不確かなものです。だけど社会主義であっても、資本主義であっても、人々の日常は「人のために命を使う」ことでした。
キューバ革命を起こしたような有名人も、モンゴルのゲルに住んでいる夫婦も、アイスランドで共にツアーを過ごした人たちも。
確かにこれからも格差が広がっていくであろう日本というのは、生き辛いのでしょう。私たちはお金がないと自信が持てない国に住んでいます。
でも爆発的に幸せを感じられる瞬間というのは、お金からではなく、人との関わりからもたらされるもので、結局どこに生まれてもどの時代に生まれても、それは変わらないのだとこの本を読んで思いました。