私は「ひとりで生きる」と決めたわけではありませんが、「自分はひとりで生きていくんだろうなあ」という運命は受け入れています。
友人に冗談で「まあ、私はもう一生ひとりだから」なんて言うと、「そんなこと言わないで」と返されたりするのですが、ひとりってそんなたいしたことでしょうか?
私にとって「ひとり」はごくごく自然なこと。落ち込むことでも悲しむことでもありません。しかし既婚者にとって、ひとりで生きることを決めることは、人生を諦めることに等しいのかもしれません。
きっと大半の人には、ひとりで生きるというのは未知の世界。ひとりで生きる人にこの世界はどう映っているのか?そんなエッセイをご紹介します。
ふかわりょう著「ひとりで生きると決めたんだ」とは
2022年に発行されたタレント・ふかわりょうのエッセイ。どうでもいいことばかり気にしてしまうふかわりょうが、重箱の隅をつつくように、ただただ気になることを書いたエッセイです。
彼にとってひとりで生きるというのはどういうことなのか、なぜひとりで生きるのに至ったのか、本当に結婚しないのかなどについても触れています。
中学生のときに友人が「昨日TOKIOとKinKi Kidsの番組見た?ふかわりょうって人がめっちゃ面白かったんだけど!」と朝イチで言ってきたのが、彼を知った最初でした。
今でもその光景ははっきり覚えていて、その後私の地元に営業に来てくれたときに一緒に写真を撮ったこともあります。
あと私が住んでいる県を旅行したときの本を出してくれたり、有吉のラジオにもたまに出てくれるので、陰ながら応援しています。
ふかわりょうのひとりで生きる幸せ論
ひとりだからこそ見える景色がある
妊娠をするとより赤ちゃんに共感できるよう、脳の構造が変わってしまう可能性があるそうです。
真偽のほどは分かりませんが、十分ありえることだと思います。そうでもないと、あの辛い育児を乗り越えることはできないでしょう。
私の友人たちは精神的にだけでなく、もう生物学的にも、私とは違う生き物になってしまったようです。
きっと彼女たちと私の見ている世界はまったく違うものなのでしょう。もう私の見ているものは、彼女たちにはまったく必要のないものなのです。
しかしふかわさんは「ひとりだからこそ見える世界がある」と書いています。
いま、私が見ているものが、ひとりだからこそ見える世界なら、私は、この目を失いたくない。
わかっています。他にも素敵な景色があることを。世界はもっと、広いことを。
でも私は、この景色を眺めていたい。この景色を失いたくない。
ふかわりょう「ひとりで生きると決めたんだ」
そう、なんだかんだ私も気に入っているのです。この小さい世界を。
もし私が結婚して子供がいたら、今よりもっとたくさんのものに出会えたでしょう。でもひとりだからこそ行けた場所、見ることができた景色も確かにあるのです。
今の自分を失ってしまうくらいならひとりのままでいい、そんなふうに私も思います。
こだわりは持ち続けるより、捨てることのほうが難しい
自分の中のルーティンとか習慣とかこだわりとか、そういうものを大事にしたくて独身という人も多いでしょう。私もかなりのロングスリーパーで、睡眠不足は死活問題となるため、独身におおいにメリットを感じています。
ふかわさんも以前は習慣を繰り返すことに、意義を感じていたそうです。そしてある出来事によって、もうこだわりを捨てなければと思ったのですが、これがなかなか難しいのです。
他人から鼻で笑われようと、そうでなかろうと、大事なのは捨てること。そこに大きな価値がある。こだわりは、持つことよりも手放すことの方が難しいと気づいた47の冬。
ふかわりょう「ひとりで生きると決めたんだ」
これ、すごく分かります。長年慣れ親しんだものを捨てるって、勇気がいります。しかもそのこだわりを捨てても大丈夫だった場合、今までの自分は何だったんだってなりそうだし。
しかし田中みな実さんの一言で、ふかわさんは変わります。こもりがちだった生活から外出するようになったのです。そしたらアイディアが自然に出るようになった。
確かにルーティンの生活というのは快適です。独身の特権とも言えるでしょう。
でもそれが最適ですか?考えるのを放棄していませんか?こだわりを持つのはいいですが、こだわりに縛られてはいけません。もっとすごい楽しみを見逃してしまう可能性があります。
独身は何も変化が無いからこそ、自分で意識して変化を作ることが必要でしょう。全部を変える必要はありません。生活を少し変えるだけでいいのです。
自分が幸せかどうかなんて考えないほうがいい
私もまあまあネットに毒されているので、既婚と独身どっちが幸せか?なんて記事は山ほど読んできました。データによって検証されているのものもあれば、お互いを貶しあっているものもあります。
そんな答えの出ない争いが延々と続いているのは、自分が本当に幸せなのかみんなどこかで不安なのでしょう。もちろんこういう記事を読み漁っている私もそうです。
でもこの部分を読んで、もうやめようと思いました。
自分が幸福かどうかなんて気にしていないのが一番いいのです。温泉に浸かって、「あぁ、幸せ」というくらいはいいですが、幸福度という尺度を気にする時点で幸福じゃありません。
ふかわりょう「ひとりで生きると決めたんだ」
確かに私は「自分で独身を選んだからには、独身でも幸せになる道を探さなければ」と躍起になっていた気がします。
自己実現とか大きな目標を持つことはすばらしいですが、今ある幸せを否定することもありません。幸せって感じるものであって、確認するものではないのだと思いました。
ひとりで生きる=独身ということなのか
私はたぶんこれからも独身ですが、なんとなくパートナーはいたらいいなとは思っています。でもひとりで生きていくということには、変わりはありません。
「パートナーがいてもひとり」というのは矛盾するようですが、メンタル的にはひとりで生きていくということです。
子供が産めるわけではない私に、お相手が経済的な援助をするメリットは何一つありませんし、今さら誰かを当てにすることはありません。
ふかわさんはひとりで生きる覚悟ができているとは書きつつ、結婚についてもこのように書いています。
支え合って、ふたりで力を合わせる、それが従来の夫婦の形。しかし、ひとりで生きる者同士が籍を入れるという形があってもおかしくありません。過度な依存は歪みを生みますし、むしろ、その方がお互いにとってちょうどいい「支え」になるのでしょう。「ひとり」と「結婚」は両立するのです。
ふかわりょう「ひとりで生きると決めたんだ」
若いころだったらこの部分に「はあ?何言ってんの?そんなの結婚の意味ないじゃん」と思ったでしょう。でも40を過ぎた今だからこそ、よく分かるのです。
これは一度「ひとりで生きる」と腹をくくったことのある者だからこそ、分かる感覚なのかもしれません。ひとりで生きると覚悟することと、もうパートナーはできないだろうと思い込むことは違います。
人生を共有することだけが共に生きるということではなくて、お互いの人生を尊重し合うこともまた、共に生きるということなのだと思います。
私はずっとひとりで生きていますが、その状態がずっと続くと寂しいというより、「もしパートナーができてもそれはそれでめんどくさいなあ」となってしまうんです。
昨今結婚願望のない男性が増えていると言われていますが、でもその中で同じ感覚で生きている人がいるかもしれない、と少し希望が持てたのでした。