光浦靖子著「50歳になりまして」コロナのせいで留学が延期になった光浦さんの、留学を決意したきっかけから実現までを綴ったエッセイ

みなさんは「50歳」という年齢にどのようなイメージを持っているでしょうか?

ここ最近で、社会における50代のポジションが変わってきたような気がします。何というか「自分のために生きる」ということが許されてきたように思うのです。

一昔前のの50代というと、まだまだ他者のために生きること、男性であったならば会社のために、女性であったならば家庭のために生きることが求められていました。

まだまだ老人という年齢ではないものの、「自分の人生はこんな感じで終わっていくんだろうな」感が漂っていて、いわば老後までの消化試合。それが以前の私の50代のイメージでした。

しかし時代は変わりました。平均寿命が延び人生100年時代となった今では、残り50年というのは消化試合にしては長すぎます。

FIREや早期退職で第2の人生を歩む人が出てきた今、消化試合どころかまったくルールの違う場所で再び試合に臨む、今の50代にはそれが可能になりました。

特に独身に関してはそれが顕著です。人生の終わりが見えてきた50代、独身はありあまる時間をどのように生きるのか。

そのヒントを与えてくれる本をご紹介します。

「50歳になりまして」とは

タレントの光浦靖子さんが2021年に出版したエッセイ本です。

光浦さんといえば、仕事を中断し50歳でカナダに留学したことが、とても話題になりました。

この本には光浦さんが留学を決意した経緯、コロナで留学が延期になって妹の家に居候した日々、独身女性のリアルな声などが綴られています。

光浦靖子とは
1971年生まれ。愛知県出身。幼なじみの大久保佳代子と「オアシズ」を結成。 「めちゃ²イケてるッ!」でブレイクしてから、コンスタントにテレビで活躍。 趣味の手芸はプロ並みで、文筆家としても連載や書籍が複数あります。

光浦さんを50歳にして留学に駆り立てた要因

留学する芸能人というのは度々います。しかし光浦さんの留学がここまで話題になったのは、やはり50歳という年齢だからでしょう。

芸能界における光浦さんのキャリアというのは、もうすでに確立しており、このままコツコツ仕事をしていけば十分に安泰。新しくキャラ付けをするために、わざわざ未知の分野でキャリアを積む必要もなさそうです。

そんな状況で、50歳で、いったん仕事を中断してカナダへ留学する。そんな人は今までいなかったので、その行動が芸能人にも一般人にも一石を投じました。

アメトーークでは「いってらっしゃい光浦さん」なる企画が組まれ、番組内で「50歳の人が来たらホストファミリーも驚くんちゃう?」とイジられていました。

そして一般人には、特に私のような独身女性には「やっぱお金がある独身が最高」的な、羨望の存在となったのです。

私たちの目にはずいぶん思い切った決断のように思えますが、この本を読むと光浦さんの中にはかなり前から後悔とか、「何かをしなくては」という焦りがあって、少しずつ決断していったということが分かります。

独身女性のリアルな心の叫び

どんなにお金があっても、仕事が充実している芸能人でも、やはり肉体の作りは一緒です。私たちと同じくタイムリミットはあります。独身が楽しくても、子供は欲しくなくても、焦りからは逃れられません。

正直、今、子供は欲しくありません。でも、焦らされるんです。どうしよう。いつか子供が欲しくなるかも。いつか、後悔するかも。

光浦靖子「50歳になりまして」

私がこの本を読んだのはちょうど40歳で、まさに子供を諦めるかどうかのデッドラインでした。もともと子供は好きではないので欲しくなかったのですが、私もまさにこの心境になったのです。

しかも光浦さんは子供が好きで、様々な選択肢が取れるほどの経済力があり、高齢出産が珍しくない芸能界にいます。本には書ききれないほどの葛藤があったに違いありません。

「欲しくないのに、諦める」、これは独身の多くが通る道なのです。

一度決断してしまえば、色んなことが転がりはじめる

思い切って新しいことをしてみたら、「私ってずっとこれをやってみたかったんだな」と思うことが多々あります。

私が始めてフェスに行ったのは30代半ばでしたけど、それまで行ったことがなかったのは、一緒に行く人がいなかったりとかなんとなくそんな感じです。

でも思い切って一人で行ってみたら、まったく問題はありませんでした。それ以来私は色んなフェスに一人で行っていて、私はずっとこうしたかったんだと実感しました。

やってみたいからやってみることもあれば、やってみて自分はやってみたかったんだと分かることもあるのです。

光浦さんは留学を決意して、さらにコロナで留学が延期になって、その間に歯列矯正をすることを決意します。それは英会話教室の先生の一言だったり、コロナでマスク生活になったりとかの偶然もあります。

そして歯列矯正する理由をこんなふうにも書いています。

モテたい。カナダでモテたいんだ。一回、人生で一回、恋愛をしてみたいんだ。泣いたりわめいたり、喧嘩して、憎むくらい人を好きになってみたんだ。

光浦靖子「50歳になりまして」

なんとなくですが、光浦さんは留学を決意したことで、自分の思わぬ本心に気がついた気がします。一度「自分のしたいようにする」と決めてしまえば、どんどん出てくる自分の欲望に、蓋をすることがなくなるのではないでしょうか。

歯列矯正なんて留学に比べればささいなことです。一つ大きな決断をしてしまえば、小さなこともどんどん決められるようになります。

だからまずひとつ、自分のしたいことを叶えてみるのが大切なんです。

相方・大久保さんの存在

それぞれピンで出ることのほうが多いので忘れられがちですが、光浦さんの相方は大久保佳代子さんです。

コンビとして30年以上、また小学1年生のころからお互いを知っているので、まさに40年以上の付き合いとなります。

光浦さんは大久保さんのことを「仕事のパートナーにはなれなかったけど、もう友達のままでいいんじゃないかと思えるようになった」と書いていました。

ここまでの境地になるまでに、後から売れた大久保さんと比較されたりするのがイヤな時期もあったそうです。

でもこの絶妙な距離感の相方だからこそ、光浦さんは自分の人生に思いっきり舵をきることができたと思うのです。オアシズは足並みを揃える必要のないコンビだから。

光浦さんは大久保さんに留学のことを相談しておらず、大久保さんは他人からこの話を聞いたそうです。私はこのエピソードから逆に、光浦さんから大久保さんへの絶大な信頼感を感じました。

同じ業界に大久保佳代子という、まさにふてぶてしいタイプの相方がいるというのは、ものすごく心強いですよね。光浦さんは相方が大久保さんだから、マイペースでいられるんでしょう。

人生の後半は自分を客観的に育ててみよう

子供を産むのにはタイムリミットがありますが、基本的に何かを始めるのにタイムリミットはありません。あるとしたらそれは寿命が来たときです。

光浦さんは自分がかなり長生きするタイプで、かつこのまま独身だろうと考えたとき、後半の人生のレールを敷いておかなきゃと考えたそうです。

これから始まる後半の人生の中で、今が一番強いんです。無敵なんです。無敵の私が未来の私を育ててやろうと思ったんです。将来、このおばあちゃんが笑って生きてゆけるレールを、これから5年?10年?で敷いてやろうと思ったんです。18歳まで親が私にしてくれたことを私にしてやる感じ?子育てならぬ、おばあちゃん育てです。

光浦靖子「50歳になりまして」

これ、すごくいいですよね。おばあちゃんになる、ではなく、おばあちゃんに育つと考えているところが。

光浦さんは東京外国語大学を卒業していますが、学生のとき周りがみんな当たり前のように英語をしゃべれる環境に劣等感を感じて、お笑いに逃げてしまったそうです。

それで成功しているんだから万々歳ではないかと私なんかは思うんですが、光浦さんの中にはずっと引っかかっていたんでしょうね。

みんなそういうことってあると思うですよ。あのとき違う行動をしていたら、今ごろどうなっていたかな?みたいなことが。

人生の終わりが見えてくる50代は、経済的な基盤をしっかり作った上で、「自分が人生で何を成し遂げたいのか?」を客観的に考える時期なんでしょう。

若いときにできなかったことが、気力も体力も無い中年にできるはずないよと思うかもしれません。

いや、分かりませんよ。「もうすぐ人生終わっちゃう!」という焦りが、若さより強力なエンジンになる可能性だってあります。

自分という「一人の人間を育てる」というのもまた、「人生2周目」とか「育て直し」みたいで楽しいではないですか。

そしてその姿が人に勇気を与えることもあるでしょう。光浦さんがそうしてくれたように。

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