面食いすぎて結婚相談所を3ヶ月で辞めた話

40歳を目前にして結婚相談所に入る

あと半年で40歳という節目に差し掛かったころ、ふと思った。「やっぱり1回くらいは結婚しといたほうがいいのかなあ?」と。元々子供が欲しいわけではなかったのでそこまで本格的な婚活をしておらず、彼氏を作るためにたまに婚活パーティーに行く程度だった。しかし婚活パーティーというのは、始まるまでどんな人が来るのか分からない。時には男性が二人だったこともあり、帰りのエレベーターの中で一緒に参加していた女性とボロクソ文句を言ったこともある。要するに効率が悪いのだ。
本当は彼氏を作って、そこから結婚を考えたかったのだけれど、そうも言ってられないだろう。もう、最初から結婚を目指すために結婚相談所に入ることにした。
あまりお金はかけたくなかったので、店舗の無いオンライン型の結婚相談所を選んだ。

独身証明書などの書類を提出したら、さっそく担当者が決まり、電話で面談することになった。担当者は若いかわいらしい女性だった。
いくつか希望を伝えた。子供は欲しくないこと、仕事と趣味は結婚しても続けたいこと。

そして聞かれた。結婚したらどんな家庭を作りたいですか?
当たり前の質問である。聞かれるのが分かりきっている質問である。この当たり前の質問に、私は何も答えられなかった。相手に対する要望はいくらでも思いつくのに、一緒に何かをしたいとか、相手に何かをしてあげたいとか、そういったことがまるで思い浮かばなかった。
完全に言葉に窮した私は、しどろもどろに「えっと・・・まだ結婚の具体的なイメージが浮かばなくて」と答えた。今考えると、39歳で何言ってんだという感じだ。担当のお姉さんもそう思っていたに違いない。恥ずかしい。
お姉さんは「婚活していくうちにイメージが湧いてくると思いますよ」と言ってくれた。私は「そうですよね」と答えたが、心の中は悪い予感でいっぱいだった。

悪い予感を抱えたまま、私は婚活を始めた。

プロフィールを見ても会いたい人がおらず、すでに心が萎える

結婚相談所といっても、基本的にこちらから連絡しない限りは担当者から連絡は無く、活動は本人の裁量に任せられる。フォトスタジオで写真を撮り、プロフィール内容の許可が出るといよいよ活動が始まった。
スマホやパソコンで自分の条件に合う人を検索し、申込みする。プロフィールには写真や、職業、年収、自己紹介などが載っており、マッチングアプリのような画面を想像してもらって差し支えない。ただマッチングアプリと違うのは、全員が確実に独身であること、マッチングしたらメッセージのやり取りはせずにすぐお見合いがセッティングされることである。

私は39歳という年齢、またプロフィールに子供は希望していないことをはっきり明記していた点で圧倒的に不利であった。正直1件も申込みが無いことも覚悟していたが、それでも最初の月には20件ほどあり、それからも細々と続いた。いくつか申込みを受けた。

もちろん私からも申し込みをした。年齢、住んでいる県である程度しぼり、その中から子供が欲しいという人ははずした。「にぎやかな家庭」など、子供がいる家庭を想定していそうな人もはずした。それだけで申し込みできる人はかなり減った。
残った人の自己紹介を読み込んでいく。読み込むといっても、私が見ていたのはほとんど顔写真だけだった。子供を希望していなかったので、正社員で働いていれば年収はどうでもよかったし、自己紹介なんか読んでも実際会ってみないことには何も分からないと思っていたからだ。
ひたすら顔を見て、アリかナシか判断していく。まれににイケメンもいたが、さすがにそこは私もわきまえているので申込みはしない。機械的にそんな作業を繰り返した。淡々と指を動かしながら、こんなことばかりしていたら性格が悪くなりそうだなと思った。

一月に申し込みできる上限は20人くらいだったのだが、正直20人も申し込みしたい人はいなかった。それでも高いお金を払っているんだし、会えば好きになるかもしれないとできるだけたくさん申込みをした。
いくつか申込みを受けてもらった。

私の貴重な休みが、どんどんお見合いで埋まっていった。

お見合いをすればするほど、いかに自分にとって容姿が重要かを痛感する

3ヶ月で20人ほどとお見合いをした。異性と会うときドキドキ感は全く無く、仕事のスケジュールを組むように予定を組んでいく。週に1人か2人、仕事が終わってからのときもあれば、休日に2人掛け持ちしたこともあった。
お見合い前には相手の仕事や趣味などを頭に叩き込み、長年のサービス業の経験を生かして相手の話には大きめのリアクション。婚活をしているとき、私はいつも仕事をしている気分だった。
自分の人生のパートナーを探すという超自分ごとなのに、心の中はまったく他人事であった。

結婚相談所にいるような人は変わった人ばかりとネットには書いてあるけれど、決してそんなことはない。それは断言する。確かに癖がある人は一部いたけれど、ほとんどが常識的な清潔感のあるいい人ばかりだった。変わり者だから結婚できなかったというより、不器用すぎて婚期を逃してしまったのかなという印象だ。容姿に関してもごく普通。子供を連れてスーパーにいる人たちと何の変わりもない。年収だって悪くないし、仕事だって安定している。縁があればすぐにでも結婚できそう。むしろこんないい人たちが結婚できないこんな世の中って?と考えてしまったくらいだ。
実は結婚している人としてない人の違いってそんなに無くって、ちょっとしたタイミングや選択が違っていれば、私もこの人たちも結婚していたかもしれないと思った。

私にはもったいない人ばかり。それなのにお見合い相手にまったく関心が持てない。相手の人格に興味が無いどころか、相手にも人格があるということさえ忘れていた気がする。
「好きの反対は無関心」とはよく言ったものである。

理由は明白だ。相手の容姿が私の好みではなかったから。私は髪が長め、なんならロン毛が好きなのだけれど、当然そんな人は結婚相談所にはおらず、みんな髪は短め。そんな小さなことさえ許せなかった。
私の好みの容姿の人なんて、結婚相談所にはいない。最初から分かっていたのだけれど、自分がこんなにも容姿で人を判断する人間だとは自分でも思っていなかったのである。

一度髭跡がすごく濃い人がいて、「私って髭跡がダメなんだな」と初めて知った。その後担当者から「お相手の方がお断りの理由を知りたいということなんですけど」と連絡があり、焦った私は「どうやら私、髭が濃い人がダメだったみたいで。」とバカ正直に答えてしまったのである。担当者は「分かりました。容姿がお好みではなかったとお伝えしておきますね。」と言って話は終わった。
え?そんなにはっきり伝えちゃうの?適当にごまかしといてくれるんじゃないの?
私が面食いなばっかりに無駄に人を傷つけてしまった。さすがにこのときは落ち込んだ。

このときから私は悩んだ。
どうして私はイケメンしか好きになれないのだろう?
どうして私は人の内面を見て、良いところを見つけられないのだろう?
どうして私は自分とお見合いしてくれた人に感謝できないのだろう?
私は普通のおばさんなんだから、相手も普通のおじさんではたから見ればとても釣り合っている。どうしてそれを認められないのだろう?

もはや婚活よりも自分の精神面での幼さに悩むようになった。面倒くさがりだから今まで結婚できなかったと思っていたけれど、実は私はものすごく性格が悪いのではないか。今までモテなかったのはコミュ障だからでもなく、ブスだからでもなく、単に性格が悪いからなのか。

どうやったら性格って良くなるんだろう?と悩みながらも、婚活を続けた。
面食いを直さなければと思ってはいたけれど、お見合いが無い休日はアニメ「黒子のバスケ」にどっぷり浸かっていた。
自分はイケメンには選ばれない。頭では分かっていたが、本能がイケメンを欲していたのだ。

私にとって「顔が好き」は好きの指標

結局私は結婚相談所を辞めた。担当者には「順調だったのに」と引き止められたけど、もう私は限界だった。
理由を聞かれたとき、「ダメなんです!私はイケメンしか愛せない女なんです!」と叫びたかったけど、さすがにスルーした。
それに私は結婚をするにはあまりにも幼稚すぎた。結婚したら成熟していくんだろうけど、それはあまりにも多くの我慢を必要とし、多くの犠牲も払うだろう。私は人間として成熟するよりも、楽しく生きたい。成熟したくないわけではないけど、私は自分のペースで大人になっていきたい。死ぬまでに何とか大人になれればいいのだ。独身だったらそれが許されるから。

イケメンしか愛せないと書いたけれど、正確にいうと初対面で興味が持てるのはイケメンだけというだけで、イケメンではない人を好きになることだってある。むしろ私はイケメンとは付き合ったことはなく、今まで付き合ったのはごくこく普通の容姿の人だ。それでも私は彼らを愛したし、顔も大好きだった。一般的にはイケメンでなくとも。私はその人を好きになってしまえば、顔も大好きになるのだ。

でもそこまでいくには1年くらい一緒に働いたりとか、それくらいの時間はかかる。顔がタイプの人はすぐ好きになれるけど、顔から入らない場合、私は時間をかけてじっくり好きになっていく。
初めて会ったその日に仮交際するか決めて、3回目には結婚を前提とした付き合いをするか決め、半年たてば成婚を急かされる。結婚相談所はそういう世界で、私には到底受け入れられるものではなかった。

「顔なんてどうせみんなおじさんになってしまうんだから、結婚の条件で一番どうでもいいところ」という声もあるが、本当にそうだろうか?
私はそうは思わない。むしろ一番重要とさえ思っている。だって一生眺める顔なんだよ?好きな顔じゃなかったらイヤじゃない。
「顔はタイプじゃないけど、条件がいいから」とか「一緒にいると安心するし、生理的に無理ってわけじゃないから」とかたまに聞くけど、信じられん。私は顔も大好きな人とでないと、結婚したくない。
だって私から見てその人がカッコよく見えてるってことは、私はもう彼を大好きになっている。私にとってその人の顔をどれくらい好きかということは、彼のことをどれくらい好きかということなのだ。

私は自他ともに認める面食いだ。
ただ「顔がめっちゃタイプな人」を好きになることもあれば、「顔まで好きになれる人」を好きになることもある。
顔から入るか、中身から入るかの違いはあれど、結果的に顔で選んでいる私は究極の面食いだ。

この究極の面食いのおかげで、私は一人で人生を歩むことになってしまった。でも面食いでよかったこともある。
世の中の大半の旦那さんはイケメンでないので、仲の良さそうな夫婦や家族を見ても、まったく羨ましくないことだ。

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